A Story To Tell vol.4 "NAS"

Nas『It Was Written』リリース25周年に思うこと
by. 高橋芳朗/たかはしよしあき
1990年代半ば、ヒップホップ雑誌『FRONT』(のちに『blast』と改名)の編集スタッフとして働き始めたころは取材でたびたびニューヨークを訪れる機会に恵まれた。現地では本当にたくさんのアーティストのインタビューを行ってきたが、なかでも1996年夏、セカンドアルバム『It Was Written』リリース直前のNasに会えたことは忘れられない思い出になっている。当時まだ22歳だった彼は取材中一度として笑みを見せることはなかったが、フォトセッション待機中に持参したお菓子を振る舞ってくれたりと、彼なりの気遣いを見せてくれた。
そんなこともあって『It Was Written』は非常に思い入れの強いアルバムではあるが、ニューヨークハードコアヒップホップの粋を結集して瞬く間に歴史的名盤のステイタスを獲得したデビューアルバム『Illmatic』(1994年)の次にくる作品として、ぐっとポップな方向に振れた『It Was Written』は必ずしも当時のヒップホップシーンの需要に応えたものとは言いがたかった。以降のNasのキャリアは『Illmatic』の呪縛からの脱却が大きなテーマになっていくが、彼が背負う十字架を余計に重くしたのが『It Was Written』だったのだ。
だがリリースから25年を経た現在、現地での『It Was Written』の受け止め方は大きく変容を遂げている。特に2000年代以降にデビューした30代のラッパーには「『It Was Written』派」が多く、2006年に『Food & Liquor』てデビューしたルーペ・フィアスコは「『It Was Written』こそがクラシックなんだ」と主張。「Studio」(2014年)のリミックスでNasを招いたスクールボーイ・Qも「『Illmatic』より『It Was Written』のほうが優れていると思う」とコメントしている。
また、J・コールがNASに宛てた「Let Nas Down」(2013年)には「I used to print out NAS raps and tape 'em up on my wall / My niggaz thought they was words but if was pictures I saw / And since I wanted to draw」(子供のころNasのラップをプリントして部屋の壁に貼っていた/友達はみんなただの言葉の羅列だと思っていたみたいだけど俺にしてみればあれは写真だった/俺もいつかあんなラップを書いてみたかった)という一節があるが、この「壁に貼っていたNasのリリック」とはほかでもない、『It Was Written』収録の「I Gave You Power」のことだったりする。
こうした後輩たちのエールを受けてのことなのだろうか、Nasは『Illmatic』リリース20周年の記念イベントで「『Illmatic』よりも『It Was Written』のほうが良いと言われることに喜びを感じる」と吐露しているが、これは極端に神格化された『Illmatic』に複雑な感情を抱く彼の偽らざる心境なのだろう。正直なところ個人的には「『Illmatic』よりも『It Was Written』のほうが良い」とは言えないが、もし『It Was Written』が『Illmatic』のパート2であったなら、今年の第63回グラミー賞で最優秀ラップアルバム賞を受賞するような未来はNasに訪れなかったかもしれない、という気はしている。
Nas Nobody feat. Ms. Lauryn Hill
8月6日、Nasは彼に初めてのグラミーの栄冠をもたらした昨年の『King's Desease』の続編『King's Desease II』をリリースしたが、ここには『It Was Written』のリードシングルとしてヒットした「If I Ruled The World (Imagine That)」以来となるローリン・ヒルとのコラボレーション「Nobody」が収録されている。「もし自分が世界を支配したならば」と想像する前者に対して、この世界から逃れて「何者でもない誰かになれる場所」を想像する後者を、はたしてNasはどんな思いで綴ったのだろう。いま改めて、『It Was Written』に寄せる彼の心情を聞いてみたい。
高橋芳朗/たかはしよしあき
東京都出身。音楽ジャーナリスト/ラジオパーソナリティー/選曲家。著書は『ディス・イズ・アメリカ 「トランプ時代」のポップミュージック』『生活が踊る歌』『ライムスターのライブ哲学』『ラップ史入門』など。ラジオの出演/選曲はTBSラジオ『ジェーン・スー 生活は踊る』『アフター6ジャンクション』『金曜ボイスログ』など。Amazonミュージック独占配信のポッドキャスト番組『高橋芳朗 & ジェーン・スー 生活が踊る歌』も配信中
Twitter:@ysak0406
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